きいろいひとりっぷ

デーヴにそっくりな広島人の心の旅

さくらももこエッセイ中毒にかかった

タイトルの繰り返しになるが、さくらももこエッセイ中毒にかかった。

さくらももこのエッセイといえば『もものかんづめ』シリーズ。今から約15年前に1作目が発売されて以来、大ヒットした人気の3部作だ。

 

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発売当時に楽しんだ方は「今さら?」と思われるかもしれないが、この作品の面白さは時を経ても不変だ。お笑いとしてバッチリ通用するネタが満載で、読んでいるとじわじわ笑いが込み上げてニヤニヤしたり、急に笑い出したりしてしまう。傍から見れば不気味な人だ。公衆の場で読めない本が本当にあるとは思いもしなかった。さくらももこはババくさく、幼少の頃から落語を聞いたり漫才ブーム前から漫才を見ていたそうで、作品がこうなるのも頷ける。

 

そもそも私がさくらももこのエッセイを読もうと思ったのは、ピースの又吉が著書で「さくらももこのエッセイを読んで、エッセイというジャンルの面白さを知った」と言うのを読んだからである。今や文豪と言われる又吉にジャンルの面白さを知らしめるほどの作品なのだから、捨て置くわけにはいかない。しかし又吉教に入信予定だった私は、どちらかというと近代文学を手広く読もうと思っていた。それがうっかり『もものかんづめ』を最初に手にしてしまったものだから、太宰も芥川もそっちのけで今や「ももこ色」一色になった。

 

エッセイの中には、ももこさんがこれまでに体験したことや出会った人について書かれているが、とにかくその書きようがヒドい。人の失敗や恥が恰好のネタになっている。彼女の知り合いでなくて本当に本当によかったと思わせるほどヒドい。それでいて嫌な気分にさせないところが彼女の作品のすごさだと思う。

 

ももこさんの文章の中では、お葬式も爆笑のネタになる。『もものかんづめ』の「メルヘン翁」では、ももこさんの祖父の葬式が題材になっている。

死んだジィさんが口を開いて間抜けな顔で死んでしまい、ももこは姉にそれを伝えに行く。「面白いけど笑っちゃダメだよ。絶対に笑っちゃダメだよ。」と姉にしつこく念を押してジィさんの部屋へ連れていく。ジィさんの顔を見て、姉はももこの仕掛けた通り笑いのツボにはまる。ももこは「ダメって言ったでしょ、いくら面白くてもサァ」とさらに追い打ちをかけ、姉はいよいよ笑いのドツボにはまる。

「振り」という言葉がいつからメジャーに使われるようになったのかはわからないが、彼女は高2(1980年代初め)の時点で振りの極意をすでに心得ている。しかも追い打ちという高度な技まで使いこなす。彼女のエッセイでは、祖父の葬式という不幸なイベントから誰もが見逃してほしかった些細な恥まで、持ち前の笑いのセンスと独特のオバサン口調で全てがネタになる。

 

ちなみに「メルヘン翁」を読んで「ひどい。もう読みたくない」という手紙が編集部に3通届いたそうだ。それについて、ももこさんは

そうか、もう読みたくないか、それじゃ仕方ないな、というのが私の感想であった。私はこれからもそのような人たちの読みたくない物を書く恐れはいくらでもある。遅かれ早かれ受け入れてもらえない日は来たであろう。 

と言う。人に否定されようと、「その人ががそう思うなら仕方ない」と寄せつけず、自分を貫く姿がかっこいい。たくさんの才能ある人たちが、このような心意気で、世に素晴らしい作品を出し続けてくれるといいなと思う。趣味ではあるが公の場に文章をさらけ出している自分も、少しは見習いたいものだ。

 

ももこさんのネタは尽きることがない。本も終わりに近づくにつれて退屈になっていく作品もよくあるが、彼女のエッセイは飽きが来ない。それだけ毎日彼女の身に面白いことが起こっているのも事実であろうが、同じくらい、彼女自身がが物事を面白く見ているのだと思う。

 

私個人の話になるが、先日久しぶりに食事に誘われた。そのあとのカラオケが盛り上がってしまい、終電に間に合わなくなった。ニート生活を送る私は、タクシー代をケチって徒歩で家まで帰ることにした。市街中心地とはいえ、地方都市・広島。ちょっとメイン通りを外れると人っ子一人いなくなり、気味が悪い。原爆ドームでおなじみの平和公園を突っ切ろうと思ったが、恐すぎて引き返し、ひたすら大通りを選んで歩いた。

途中で変な男と目が合う。怖いので用もないのにコンビニに入ってやり過ごす。また暗闇に飛び出し、小走りで先を急ぐ。気を紛らわすため彼氏にLINEメッセージを送るが、既読になるのに返信がない。気に障ることを言ったのかと別の心配が加わる。(LINE画面を開いたまま眠り落ちていたことが後に判明。)中心街を離れるほど人気が無くなり、周囲をキョロキョロ見回しながら泣きそうな気持になる。

不安がピークに達したところで、学生風の若い男がベンチにだらりと座っているのに急に出くわし、心臓が止まりそうになった。彼は部屋の暑さに耐えかねたのか、夜風に当たりながらスマホゲームを楽しんでいた。

私は心底腹が立った。女である自分がこんなにも怯えなければならない夜道が、この男には快適な納涼の場なのだ。自分ではどうすることもできない「性別」によって、この場所の性質がこんなにも違ってしまう不平等が悔しかった。まだ起きていた別の友達に実際そう主張した。

 

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私が自分のこの主張を残念に思ったのは、後に『もものかんづめ』の「恐怖との直面」を読んだときだ。ももこさんが短大時代に、人気のない道で怪しい男に「一緒に死のう」と言われたときのことが書かれている。恐怖に腰を抜かしたももこさんの逃げっぷりに大爆笑した。

また、その後上京して単身生活を送っているところ、夜中に物干し場に露出狂男が現れ、下半身を見せてきたことが書かれている。そのときの110番通報がまた笑えるのだが、「あれは大きかった、男にお茶でも出して拓本にとっておくべきだった」と、彼女は恐ろしい体験を面白く回想しているのである。

そこには「なんで女ばかりこんな目に・・・」という不平はひとつも書かれていない。それどころか、その体験の面白いところを儲けのタネにしている。このエピソードを読んだ私は、嘆いても仕方のない属性に不満をぶちまけた自分を情けなく思った。過去になかなか優れた(と自画自賛している)文章を書いたくせに、私はちゃんと静かに笑って過ごせていないではないか。 

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そんなわけで、さくらももこに学ぶことはとても多く、深刻に影響されている。

その他にも、水虫や痔を自力で治す方法を発見したり、不妊で悩む女性にローヤルゼリーを勧めたら妊娠したり、飲尿療法でお腹がスッキリしたりと、シリーズ3作には実用的な情報も盛り込まれている。ありとあらゆることにチャレンジしている彼女の生活にはアイディアが溢れているし、自分も何かやってみようという気にさせてくれる。

 

ももこさんは物事を面白く見ていると上記したが、それだけでなく、どんな些細なことも見逃さない観察眼がある。

『さるのこしかけ』の「いさお君がいた日々」で、知的障害のある小学3年生の同級生・いさお君が転入してきたことが書いてある。ももこはいさお君に絶対的な存在感を感じ、ずっと一目置いていた。そして卒業の日、ももこは卒業文集でいさお君が描いた凧揚げの絵を見てわんわん泣く。

その絵は、自分と、水筒と、上がっているたこと、浜辺の石。彼の書いたものの中に私の失いかけていたもの全てがあった。彼の眼はすべて映している。浜辺の石も水筒もそのまま映している。選んでいない。ニュートラルな感性で物事を映す心がいかに得がたいものか。 

これは私がさくらももこを読みながらぼんやりと思っていたことだ。彼女はほんの些細なことも見逃さない。そんな細かいことまで彼女の眼や心は捉えるのかと、驚かされてばかりいた。けれど彼女は、自分の眼が映すものを選び始めていること、自分の眼が捉えなくなっているものがあるということに、小6にして気づいたのだ。それ以来、彼女はどんなことも見逃すまいと意識して全てを見てきたに違いない。

彼女がいさお君の絵の中に見たものを、今私が彼女のエッセイの中に見ている。私は自分が日々の生活で何も見ていないのではないかと不安になった。そしてすでに歳を重ねてしまった今、取り返しがつかなくなったのではないかと少し悲しい気持ちになった。

 

基本笑えるエッセイの中に、たまにこんな心に沁みるエピソードも散りばめられている。一冊目にして「ももこ教」に入信が決定してしまった私は、シリーズ3作を全て読み終わる前に、他の作品も大量購入するという大胆な行為をしでかした。当分足を洗うことはできそうにない。。。

 

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ちなみに、私の手元のももこシリーズの中に、一冊だけコミックがある。『永沢君』だ。

 

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永沢君とは玉ねぎ型の頭に特注としか思えない極小の帽子をかぶったいけ好かないキャラクター。『永沢君』は中学校を舞台に、心無い永沢が、卑怯な藤木、愚鈍な小杉とともに互いの恥や欠点をほじくり返しながらストーリーが展開されるマンガ短編集だ。

エッセイより前に一度読んだのだが、エッセイを読んでからあらためて読み返すと、さくらももこのツボを心得たのか、面白さが3倍くらいに増幅されていて、初読より声を大にして笑った。この様子だと、『ちびまるこちゃん』も先にエッセイを一冊でも読んでおいてから読むとより面白くなりそうだ。(ん?私は『ちびまる子ちゃん』も買うつもりなのか?)