【地元人提案】 広島旅行がほんの少し充実するオプショナルルート~路面電車に乗ってみよう
広島旅行といえば、原爆ドーム(平和記念公園)と厳島神社(宮島)だ。広島が誇る世界遺産であり、初めて広島に来る旅行者にこの二つを差し置いておすすめできることはない。
そんなわけで、平和記念公園と宮島を観光する旅行者が、すでにある旅行プランをほんの少し充実させられるおすすめネタを紹介する。大してお金もかからないので、ぜひ活用してもらえたらと思う。
まず今回は「路面電車に乗ってみよう」編。
1958年製車両
広島にとっての路面電車とは
なぜ筆者が路面電車を推すのかといえば、それは路面電車がヒロシマ復興のシンボルだからだ。
1945年8月6日、広島に原爆が投下された。生き残った電鉄会社の社員が復旧作業を始め、原爆投下から3日後、焦土と化した広島の街を路面電車が走り、悲しみにくれる市民を勇気づけたという歴史がある。
原爆の悲惨さや平和への祈りを一番感じられる場所は平和公園を置いて外にないが、一方で平和公園には生活感が全くない。惨禍から立ち直り復興を遂げた広島を愛する者としては、その広島臭さを感じてもらいたいがために、あえて古い路面電車に乗ってもらいたいのだ。
まず、これが被爆車両の画像。
広島電鉄サイトより
広島では被爆車両が今でも走っている。あの惨禍を見てきた車両が今でも現役であることは、とても尊さを感じる。この電車が今の広島の平和を守ってくれているように思う。
広島の路面電車は長く人々の生活の足としての役割を果たし続けている。日本の各地で路面電車が廃止されていく過程で、広島電鉄は大阪や京都、神戸など他県で不要になった車両を買い取ってきた経緯がある。そのため、車両にはさまざまな種類があり、それぞれの車両の故郷の名残が今も残っている。
1900形の車両は京都市電から買い取られたものだ。1957年製となかなか歴史が古い。車両番号ごとに京都由来のニックネームがつけられており、1902号は「桃山」。車内には京都市電のネームプレートがまだ残っていたりと、かつての名残が感じられる。
こちらは神戸市交通局から買い取った車両。1956年製とこちらも歴史が長い。広島市はドイツのハノーバー市と姉妹都市提携しており、ハノーバー市電を模してカラフルな塗装にしたのだそうだ。
この他にも多種多様な単車両がある。
広島観光に路面電車をプラスするには
いくらおすすめとはいえ、ただ乗ることだけを目的に路面電車は利用しにくい。そこで私は、広島駅ー平和公園 間の移動に路面電車を利用することをおすすめする。
広島の主要観光地を巡るプランとして、私が勝手に想定するのは以下の旅程だ。
1日目・・・JR広島駅→平和記念公園観光
2日目・・・終日 宮島観光
3日目・・・市内買い物、お好み焼き巡り→JR広島駅
広島観光は広島駅から始まる。飛行機を利用して来る場合でも、広島空港からリムジンバスで広島駅に移動するケースがほとんどだ。宮島を半日で観光するのは厳しいため、初日はおそらく平和公園が定番だろう。よって、広島駅から平和公園への移動も定番だと推測する。
広島-平和公園 間を移動するルートとして、次の2つをご紹介したい。
①広島駅ー原爆ドーム前(または紙屋町東)・・・1番線か6番線
②JR広島駅ーJR西広島駅 → 広電西広島駅ー原爆ドーム前・・・3番線
広島電鉄サイトより
①広島駅ー原爆ドーム前(または紙屋町東)・・・1番線か6番線
このルートでは、大きなオフィスビルや百貨店などが立ち並ぶ広島の中心地を走る。ショッピングなら八丁堀で下車すれば、東急ハンズ、パルコ、本通り商店街、並木通りなどに行ける。その手前の胡町で下車すれば、広島屈指の飲み屋街である流川通りや薬研掘通りも目の前だ。よくある都会の風景なので、都会からの観光客にはあまり目新しいものではないかもしれない。
JR広島駅に着いたら、南口を出て左前方の路面電車乗り場に行く。古い単車に乗れるのは1番線の広島港行か6番線の江波行。同じ広島港行でも5番線は原爆ドームに行かないので注意が必要だ。また、2番線は原爆ドームに行くが、新しい連結車両の線なので単なる移動手段の意味しかない。
6番線の江波行に乗った場合は、「原爆ドーム前」下車となる(所要時間約15分)。1番線の広島港行に乗った場合は、手前の「紙屋町東」で下車し、徒歩移動(約5分)となる。電停から地下街に下り、そのまま進行方向に進んで行き、地下街の突き当たりまで行けば原爆ドームは目の前だ。(運賃一律 大人160円、子供80円)
1番線、6番線および、次に紹介する3番線も、時間によっては新型車両が来ることもあるので、詳しくは駅員に問い合わせてみていただきたい。
最新車両
②JR広島駅ーJR西広島駅 → 広電西広島駅ー原爆ドーム前・・・3番線
こちらは西広島駅から原爆ドームに向かうルートだ。やや遠回りになるが、私があえてこのルートをご紹介するのは、西広島が路面電車の本拠地であり被爆からの復興の拠点でもあるからだ。
西広島駅は爆心地からやや外れていたため、市内中心部よりも比較的被害が小さかったそうだ。原爆投下から3日後、焼け野原の市内を最初に走った電車はここから発車し、天満町に向かった。
この最初に走った電車の物語は、以前NHKの『戦後70年 一番電車が走った』(黒島結菜と阿部寛 主演)というドラマでも題材になっている。
被爆電車は主に朝のラッシュ時の運行なので乗るのが難しいかもしれないが、歴史の古い単車に乗り、西広島から天満町までを被爆からの復興を想いながら揺られるのはこの区間でしかできないことだ。
このルートへは、JR広島駅から山陽本線(下り)に乗り換え、3駅目のJR西広島駅で下車する。(所要時間8分、運賃190円。※西広島駅は乗車券「広島市内」の範囲内)
JR西広島駅を出て、徒歩30秒の位置に広電西広島駅がある。ここでは行先別にホームが分かれていてわかりやすく、駅員も多いので安心だ。3番線の乗り場は4番ホームで、ここから出発する電車は全て原爆ドーム前へ行く。(広島港行でも宇品二丁目行でもOK。)電車は11~12分置きに来る。4番ホームから出るのは始発電車で、乗客も少ないため座れないことはほとんどない。(所要時間約20分、運賃大人160円、子供80円)
観光地から少し外れた地元民の生活ルート。そんな場所にある歴史の重みを感じながら、旅のスパイスとしてもらえたらと思う。